LOST ウェイトターン制TRPG


聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 01.冬の日の旅立ち

 それは年が明けてまだ間もない、ある昼下がりのことだった。

 レイフィールド王国の王都バークレイはさほど北に位置するわけではなかったが、連日霜が降りるほどに冷え込んでいた。そのため、私はここ数日のあいだ寒さから逃れるために館の中に引きこもり、窓際に近寄ることすら避け、昼夜を問わず、ただ暖炉前の絨毯の上で寝転んでいた。

 私が安住の地と定めている部屋は人間が十数人はくつろげるだけの広さを持っていたが、暖炉の熱はその部屋全体を満たすほどのものではなかった。よって、冬場の私の活動範囲は至極限られている。窓際の柱も、天井の梁も、この季節の私には無縁の近くて遠い場所であり、暖炉の前に広がるオレンジ色の空間だけが、私に残されたわずかな楽園だった。であるから、この日も私はその地に陣取り、暖炉に向けている側の毛が熱くなってくれば転がって反対側を向け、またしばらくすれば元に戻るという動きを延々と繰り返していた。

 なにも知らない者は、そんな私のことを怠惰な奴だと非難するかもしれないが、私が白い毛のハツカネズミとしてこの世に生を受けて早三年、そろそろお迎えが来てもおかしくない歳なのだから、多少だらけていたところで誰からもそしられる覚えはない。

 そう――私は人間たちから“幸せを運ぶ白ネズミ”と称される存在であった。

 そもそも、私は肉体派ではなく知能派である。若いころから運動することよりも本を読み漁ることを好んで過ごしてきた。はたして、人間の言葉を解し文字を読めるネズミがこの世にどれほどいるだろうか。このことだけでも、私こそが世界で一番賢いネズミといっても過言ではないだろう。仮にネズミという枠組みを取り払ったとしても、自分が世界で二番目に賢い存在であると私は自負していた。そして、付け加えて言うのであれば、この世で一番賢い存在は私の主(あるじ)に違いない。

 寝転ぶ私のすぐそばには、かすかなきしみをあげて揺れる安楽椅子があり、それに腰かける人物こそが私の主であった。立派な白髭を蓄えた、よわい六十を越える好々爺の姿をした主は、ときに眉間にしわをよせ、ときに眉を上げ下げしつつ、分厚い本を読みふけっている。その手に抱えられた本は、たしか三ヶ月前にも目を通していたものだ。

 主はたまに思い出したようにテーブルの上に置かれた小袋に手を伸ばすと、中から小さな植物の種を二つ三つ取り出し、私のほうに投げてよこす。私は寝転んだ状態で前足だけを伸ばし、その種を掴み取るとおもむろに口元へと運んだ。それは湿気たひまわりの種であり、淡白で噛み応えもなく、正直言ってあまり美味いものではなかった。もしこれが上等な食べ物であったのならば、これ以上ないほどの満足感を得られていたのだが……まあ、冬場に動かずして食事にありつけるだけでもよしとしておこう。

 そんな贅沢な不満を抱きつつ、とりあえずは腹を満たした私が、唾をつけた前足で自慢の真っ白な髭を手入れしていると、その耳にかすかに馬の蹄の音が届いた。複数の蹄の音はそのうしろに車輪の音を伴い、ちょうどこの館の入り口付近で止んだ。これまでの経験から、来訪者に違いないと私は判断した。

 案の定、しばらくすると館の入り口から何者かが戸を叩く音が聞こえてきた。主は先ほどまで目を通していた本をテーブルの上に置くと、古びた木製の椅子からゆっくりと腰をあげ、みずから戸口に向かって行った。

 いまこの館には、主と私の二人しか住んでいない。数ヶ月前までは優秀な使用人がいたのだが、やむを得ない事情ができたとやらで、この館を離れることとなってしまったのだ。以来、その使用人は月に一度顔を見せる程度になってしまった。思えば、私の食事が貧相なものになってしまったのはそのころからだ。こうなると人手が足らないことは明白であり、主は――もちろん私も──新たな使用人を欲していたのだが、この主に仕えることができる人間はそうそういなかった。なぜなら、主は世間で畏怖や嫌悪の対象となっている黒魔法使いであったからだ。

 黒魔法については、正しい知識を持たない者ほど大げさに恐れがちである。まあ、そうは言ってもそれが一般に出回らない知識であることはたしかだ。なので、ここで少しだけ黒魔法とはなんなのかという話をしておこう。それを説明するためには、まず“神”について触れておかねばなるまい。

 まだ伝説として風化するほど古くない時代、世界のところどころには神と呼ばれる存在があった。神の姿は人間とよく似ており、なかには人間たちと共に生活していた者もいたそうだ。しかし、姿形は似れども神々はあらゆる面において人間よりも遥かに優れた存在であり、その強大な力の多くは世界を創造するために使われていたのだという。その恩恵にあずかる人間たちが神を信仰の対象とするようになったことは、当然の成り行きだといえるだろう。やがて神々はそれぞれに従う人間に命じ、ほかの神との勢力争いを繰り広げ、現在の勢力図の原型を作りあげていった。ところが、あるときを境に神々は突如としてその姿を消してしまったのだ。それがいまから百年ほど前の話である。

 現在に伝えられている魔法という技術は、その神々が人間に授けたものだと言われている。ただし、本当の意味で神々が人間に授けた魔法は、生物の傷を癒したり、精神を落ち着けたりする効果を持った白魔法と呼ばれるたぐいのものだけである。対して、私の主が用いる黒魔法は物質や空間に影響を与える魔法であり、神々が人間に授けなかった魔法だった。――では、人間たちがどうやって黒魔法を得たのかといえば、神々が世界からその姿を消したのちに、一部の人間たちが神の住居から勝手に拝借したのだった。この行為は、神を崇拝する者たちから敵対視されるには十分すぎる所業であり、以後、黒魔法使いは日陰の存在となったのである。

 しかし、時代が進み、各国で神の残した遺産を軍事利用する動きがみられ始めると、ここレイフィールド王国でも先代国王が国教である女神クローディアを信奉する各教会に圧力をかけるにいたった。それを受けて教会も「神は人間のために遺産を残したのだ、人間にはそれを利用する権利がある」と態度を一変させたが、それでもなお黒魔法に対する世間の風当たりは強いままだった。それはおそらく、黒魔法が主に破壊をもたらすために行使されることが大きな要因となっているのだろう。

 そのような訳だから、黒魔法使いとして他国にもその名が知れ渡っている主の使用人になろうという者はもちろんのこと、この館を訪れる物好きすらほとんどいなかった。たしか昨年のうちに主のもとを訪れた客人はローレンスという名の男、ただ一人ではなかっただろうか。

 戸口にでていた主はその場で来訪者と数言交わすと、ほどなくして居間に戻ってきた。そして、しわがれた声で「ハック!」と私の名前を呼んだ。その声に私が顔を向けると、主は「すまないが、しばらく出かけることになった。少なくともひと月は留守にすることになるだろうな」と続ける。ひと月とは結構な長さだ。私がこの館に来て以来、主が館を離れる期間としては最長となる。

「餌は十分用意されているから飢えはしないだろうが、お前には火の管理ができないだろうから火はすべて消して行く。少し寒い思いをするかもしれないが我慢できるか? それが嫌なら、一緒に連れて行くが──」

 主が次の言葉を言う前に、私はどこに行くつもりなのかと問いかけた。

「ローレンスの住んでいるベネット地方のクランジェルという街だ。お前もローレンスには数度あったことがあるだろう?」

 ベネット地方! それを聞いて私は一も二もなく首を縦に振ると、主の服の裾に飛びつき、一気に駆け登って首の裏のフードの中へともぐり込んだ。

 ベネット地方のカボチャの種は上品な甘さと香ばしさの入り混じった最高級品で、私の大好物だった。以前いた使用人は月に一度は欠かさずこれを用意してくれていたものだ。ひと月のあいだ、暖のない館で一人湿気たひまわりの種をついばむか、それとも主と共に旅に出てベネット産のカボチャの種を頬張るか――そんなことは比べるまでもなかった。

 私をフードに入れたまま旅の準備を整える主が、厄介なことがどうとか、危険がどうとか口にしていたような気もしたが、そのときの私は上の空で、主の言葉に同意を示すだけだった。

 いかに賢い私であっても、生物としての欲求はそれに勝る。知性は欲求を抑止するためにあるのではなく、欲求をかなえるためにあるのだ。仮に欲求に伸びる手を知性が押しとどめることがあったとしても、それは欲求を満たすための過程として危険を回避しようとしたに過ぎない。それが正しい生物のあり方というものだろう。

 こうして、主はたいした準備時間も必要とせず、手に持てる程度の荷物だけを持つと、ローレンスがよこした迎えの馬車に乗り、一路クランジェルの街に向かった。私は主の羽織る外套のフードの中でカボチャの種を夢見つつ丸くなっていた。

 私にとってはこれが生まれ故郷であるバークレイの都を離れるはじめての旅だった。そして、老い先短いこの命にとっては最後の旅になると思われた。このときカボチャの種の幻想とほんの少しの冒険心を胸に抱いていた私には、まさかこの旅路の先にあんな運命が待っているなどと予想できるはずもなかった。

白ネズミ



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