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聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 02.城塞都市への道のり

 外の空気は予想以上に冷え込み、突き刺さる冷気に私は小さく身震いした。もしかすると、長年暖かい場所で過ごしていたために体毛が薄くなっているのかもしれない。生き物は常に環境に適応して生きてゆくのだ。私はこれまでの日々を省みて、安穏とした生活の中で野性を殺すのも善し悪しだなとため息をついた。

 目的地であるクランジェルの都は、王都から北東に馬の足でゆうに二日ほどかかる場所に位置する。主に迎えをよこしたローレンスという男は、そのクランジェルを主要都市とするベネット地方を治める伯爵であった。

 これまで主の館でしかローレンスを見たことのない私にとって、あのなまくらが領主であるという事実は驚くべきことだった。三十路をとうに越えているであろうその男は、いつも片手に酒瓶を持ち、よれた服を着ていた。体躯は人並みはずれていたが、その格好はどう見ても下級貴族の下男程度にしか見えなかった。もしくは剣闘士を名乗ったほうがそれらしい風貌だった。それに、主とローレンスの会話を耳にしていても、いつもローレンスが一方的に、あれが判らない、これが判らないと主に問いかけるばかりで、その発言にこれといって知性を感じさせるところは見当たらなかった。それらを踏まえると、ローレンスは名門貴族に生まれた放蕩息子であり、おそらくは親の七光りによってその位を得たのだろう。

 聞けば、主とローレンスは、十年ほど前に共に世界を旅して回った仲であるという。決して人との交流に積極的でない、むしろ人付き合いを嫌っている節のある主が、なにゆえにこのローレンスという男と交友を持っているのかは謎だった。

 クランジェルへの旅の行程は極めて穏やかだった。もし、何者かの襲撃を受けたとしても、四人の護衛兵が馬車の守りを固めていたため、よほどのことがない限りは主の手が煩わされる心配もなかった。

 とはいえ、席に腰を下ろしたままの主はたまにその表情を歪めていた。道中、オーティス山の麓を走る街道の路面が荒れており、車輪が地面から離れたのではないかと思うくらいに強い揺れが続いたためである。ローレンスの用意した馬車は懸架式であったにも関わらずだ。

 御者は明らかに馬足を速めていた。賓客を乗せた馬車を乗り心地を無視してまで急がせているのだから、それはローレンスが命じたことなのだろう。よほどの理由があるに違いなかったが、私は当事者ではなく旅の連れであるのだから、それについて深く追究することはしなかった。それよりも私は旅の思い出を記憶にとどめることに注力した。

 初めて王都を離れた私にとって、この旅はいままで本に書かれた情報でした知りえなかった世界をこの目で見る絶好の機会だった。クランジェルに向かう道中、何より私を驚かせたのは、深い森の奥に見えるとてつもない規模の三層からなる台地だった。

 私の知る限り、その台地の最上層は大都市がいくつも入ってしまうほどの広さを持っているはずだった。一層ごとに五十メートル以上の高低差があり、それぞれの層の上部は木々の作る深緑で縁取られている。そして、層をわける壁面には巨大な滝の流れが白い筋を作り出している。切り立った壁面はほぼ全面が岩肌で覆われており、その姿はまるで巨大な城砦を思わせた。とはいっても人間の築く城砦に比べたらゆうに千倍以上の規模を誇るのだから、象を蟻でたとえるような話だ。

 人知の及ばぬ大自然の力。いや、自然の力などではなく、それこそ神の力によって創造されたものなのかもしれない。その地こそ、かつてこのレイフィールドの地を治めた女神クローディアが住まいしところ――クローディアの聖域だった。本の虫である私は、十数年前に先代の国王が聖域に眠る宝を求めておこなった聖域侵攻の行軍記録にも目を通していたので、聖域の地形についてもある程度は把握しているつもりだった。しかし、文面から得られるスケール感と実物のそれとはあまりにもかけ離れていた。

 日の光の差し具合によって表情を変えるその景色は一向に見飽きるということがなく、私は遠く離れて霞がかってゆくクローディアの聖域の姿をずっと眺め続けていた。

「よほど気に入ったようだな」

 馬車の窓に張り付いていた私の背後から主の声が聞こえた。聖域の姿に見とれていた私は、我に返って主の方を振り向き、こくりとうなずいた。感想を述べようかとも思ったが、どうやら風景に見とれているあいだ口を開いたままにしていたらしく、喉が渇いていて声を発せられなかった。それに、それは到底言葉で表しきれるものでもなかった。

 主は興奮で頬を膨らませる私を見て目じりを下げると、そのまま目を閉じて静かに呟いた。

「遠くに見る分には美しく、その地に踏み入りたい思わせるかも知れないが……。近くで見ると、案外醜い……ということも多い。何事もな」

 主の言わんとしていることはわかったが、それでもなお聖域の景色は私の心を引き付けるだけの神秘的な魅力に満ちていた。

 私がふたたび窓の外に目を向けると、すでに聖域の姿は見えなくなっていた。

 馬車は休むことなく走り続け、ほどなくして街道は川を伴った。ここにくるまでに迂回してきたオーティス山から湧き出した水はいくつもの小川を作り、やがてひとつの川となって内地にあるユーフェミア湖に流れ込んでいる。目的地であるクランジェルは、そのユーフェミア湖のほとりに栄える都市であった。

 街道が川と合流してしばらくすると、あたりには葉菜類で埋め尽くされた耕地が広がった。寒害対策が施され、水を凍りつかせることなく耕地まで運ぶ水路がせせらぎの音を奏でる。真冬の寒い時期であるというにも関わらず、大地は緑色に染まっていた。さすがはあの絶品カボチャの名産地というだけのことはある。その豊かな耕地に私は素直に感心した。

 程なくして、ぽつぽつと民家が現れはじめ、遠くに市壁の影が見えてきた。馬車が街に近づくにつれ、その姿が威圧感をまとって迫ってくる。高さ十五メートル、全長四キロメートル。レイフィールド王国内で最も堅固だと称されるその赤土レンガで築かれた壁は、表面の鮮やかな色から“紅壁”の名で広く知られていた。

 いまでこそこのような名だたる市壁を持つクランジェルだが、二百年前までは名前もない小さな集落だったといわれている。それが、その集落で暮らしていたアンジェリアという名の娘が女神クローディアの使徒に選ばれたことで、一変して聖地と見なされ、宗教都市として発展していったのだ。

 使徒とは、神より長寿を授かり、神の仕事を手伝い、ときに神の使いとして人間たちに神の言葉や知恵を授ける役目を担う存在である。女神クローディアは、神々の消失までに十八人の使徒を選定した。アンジェリアはその中でも最後に選ばれた使徒であった。

 ほかの使徒誕生の地の例に漏れず、信徒が集い発展していったクランジェルであったが、神々の消失後、レイフィールド王国建国に伴う平定戦争では、王国に加わることを拒む勢力と王国軍が激しくぶつかる戦線の重要拠点となり、長年戦火にさらされることとなってしまった。そうした戦いの中で堅固な城と外壁が作られ、城塞都市として変貌を遂げたのだった。

 宗教都市として誕生し、外敵を拒む高い市壁に囲まれたこの都市に対して、当初、私は閉鎖的なイメージを抱いていた。しかし、いざ市門をくぐる段になって、その先入観は取り除かれた。なぜならば、外敵の侵入を阻むための市門は完全に開け放たれ、商い人が積荷内容の簡単な確認を受けているほかにはさした手続きも必要とせず、人々が自由に往来していたのだ。よく見てみれば、市門には扉そのものが備わっていなかった。ということは、この門は昼夜を問わず開放されているということになる。そのようなことは、ほかの市壁を備えた都市では到底考えられないことだった。

 市門を開放しているおかげなのか、それともほかに理由があるからなのか、街は驚くほどの人であふれかえり、その活気は冬の寒さを吹き飛ばすかのようだった。中央広場にたどり着くまでの道沿いに軒を連ねる商店。そして中央広場のマーケット。客寄せの声に混じって開拓作業のための求人募集の声も聞こえてきた。遠くには煙を上げる煙突群。おそらく、その下には鍛冶職人たちの工房が所狭しと密集しているのだろう。街行く人の雑踏に混じり、金属を鍛える音がかすかに、しかし休みなく聞こえてくる。

 見れば店先にカボチャを並べている店もあった。反射的に頬が緩み、身体に震えが走ったが、私は遅くとも明日までにはあのカボチャの種を目いっぱい頬張ることができるのだと自分に言い聞かせ、努めて衝動を押し殺した。

 それにしてもたいしたにぎわいだった。いくら紅壁内のごく限られた土地に人々が密集しているとはいえ、王都でも祭りの期間以外にこれだけのにぎわいを見かけることは滅多になかった。

 街の西側には見るからに堅固そうな城の姿が見えた。ローレンスの居城であるベネット伯爵城だ。レイフィールド王城に比べて横に幅のあるどっしりとした造りは、長年の戦いを耐え抜いてきた貫禄すら漂わせていた。その隣には、対照的に白壁の線の細い建物が並んでいる。その建物の尖塔の先には三日月をかたどった聖印が掲げられており、それがアンジェリア教会であることを物語っていた。

 教会はそれぞれがいずれかの使徒に属し、その使徒を表す聖印を象徴としている。アンジェリアは人間であったころにこよなく月を愛でていたという伝承が残されている。生まれつき身体の弱かったアンジェリアは太陽の下で走り回ることができず、毎晩一人で月を眺めては、その穏やかな優しい明かりに自らを重ねていったそうだ。そんなアンジェリアの気持ちを酌んでか、女神クローディアが彼女に与えた印は三日月を模したものだった。

 そんな逸話を聞いて、はじめ私は女神クローディアも気が利かないなと思った。どうせ同じ月なら満月を模してやればよいのに――と。だがすぐに、満月の形ではいったい何を模しているのかわからないだろうことに気がつき、考えを改めたものだ。実際にこうやって教会の上に掲げられた三日月は孤の端と端が互いに触れるか触れないかというほど長くデザインされている。実際にはありえない形だが、誰もが一目でそれが三日月であることを悟るだろう。

 私がぼんやりとアンジェリア教会の尖塔を眺めていると、馬車は人通りを抜けて、いよいよ城の正門に鼻を向けて進み始めた。眺めていた教会がどんどん近づいてくる。そのとき、私とは反対側の窓から街の様子を眺めていた主が呟いた。

「あの馬車……。バウスフィールド公が来ているな」

 その言葉に反応して主の目線の先を追うと、城に併設された建物の入り口に八頭立ての豪華な馬車が止まっていた。距離は離れていたが、車体の側面に描かれたふた振りの剣の紋様が小さく見えた。

「まさか、ローレンスの奴、わたしをあいつと会わせる気じゃないだろうな?」

 それは明らかな嫌悪感をにじませた声色だった。

 私はバウスフィールド公のことを、国家と栄誉ある戦いをこよなく愛する人物として記憶していた。逆に主はなによりも自分のことを優先させ、最小の労力で最大の成果を得るためには姑息な手段も躊躇なく選択するたぐいの人物である。まるで水と油。近場にいて火傷でも負わせられでもしたらたまらない。私は主とバウスフィールド公が顔を合わせることにならないようにと小さく祈りをささげた。特に信仰しているわけではなかったが、場所柄をわきまえて女神クローディアとその使徒アンジェリアに対して――

 やがて、馬車は城門をくぐり、しばらく進んだところで動きを止め、その戸が開かれた。王都バークレイを離れてから二日目の夕刻、ようやく主と私はローレンスの居城に到着したのだった。

 主は肩に私を乗せると馬車を降りた。右から左へと吹き抜ける北風が一気に体温を奪っていく。あたりを見渡せばすでに日は傾き、眼前の城は西日を背に受けて長く黒い影を落としていた。

城砦都市クランジェル



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