LOST ウェイトターン制TRPG


聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 03.事件のあらまし

 出迎えた使用人に案内され、主は休む暇も与えられず、直接ローレンスの執務室に通されることとなった。

 クランジェル城の内部は、優雅さとはかけ離れた圧迫感のある作りになっていた。床を歩く足音がやけに大きく響く。おそらくは気密性が高いのだろう。さすがに実用性が重視された時代に建造されただけのことはある。ローレンスの執務室にたどり着くまでに階段の上り下りを何度も繰り返させられたため、私は危うく自分のいる場所を見失いそうになった。

 クランジェル城の無骨さは通路に限られた話ではなく、通された部屋もまた飾り気がなかった。唯一、北側の壁に掛けられた四人の美しい女性の肖像画だけが、殺風景な部屋に彩りを添えている。――と、そこで私は、描かれている女性のうち一人の肌が褐色に染められていることに気がついた。それはこのあたりではまず見かけることのない、遥か南西の土地に住む人種の特徴であった。

「よく来てくれた。待っていたぞ」と、部屋の南側から男の声が聞こえた。

 主が声のしたほうへ顔を向けると、いまにも崩れそうなほどに書類が積み上げられた机の奥から大柄な男が姿を見せた。歩み寄ってきたその男を、私は主の肩の上から見上げた。

 男は癖のついたこげ茶色の長髪をうしろでまとめている。自信に満ちた凛々しい顔つきをしており、それだけであれば言い寄る女性も少なくないだろうと思えたが、その左頬から襟元にかけては、見るものを怯えさせかねないほど酷い火傷のあとが刻まれていた。服に隠れてはいるが、その傷は左胸にまで及んでいるはずだった。

 見間違えるはずもなく、その男はローレンスだった。しかし、去年見たときよりも少しやつれているように見えた。主の館を訪れてきたときよりも遥かに上等な服を身につけてはいるものの、そのとき以上によれてしわだらけになっている。

「こんな格好ですまんな」

「気にするな。格好を気にしている余裕などないのだろう? でなければお前のほうからわたしを呼びつけることもあるまい」

 ローレンスは面目ないと軽く笑みを浮かべて頭のうしろに手をあてた。

「お前が最後にわたしの館を訪ねてきたのは半年以上前のことになるか。あのときは聖域侵攻の策を考える手助けを求めに来たのだったな……」

 主の言葉は、私に昨年の初夏の日のことを思い出させた。

 その日、ローレンスは朝早くから主の館を訪れ、丸一日、主と顔を突き合わせてクローディアの聖域に関する話をしていた。当時の私にとってはあまり興味をそそられない話だったので、細部までは記憶していなかったが、ローレンスが館を出る前に、主から薬瓶を渡されていたことは色濃く覚えていた。その小瓶の表には、その昔神々が使っていたとされている遺失文字で“鮮血の林檎”と書かれた紙が貼られていた。それは以前、主が調合した強力な睡眠薬だった。

「しかし、聖域侵攻は思うように進まなかったのだろう? なんでも、まんまとクローネの民に計画を阻止されたそうじゃないか。以前相談に来たときの話では、聖域を制圧して神の遺産を手に入れる計画だったはずだが、結果的にはクローネの民による聖域の自治を許し、お目当てだった神の遺産はクローネの許可を得た場合にのみ貸し出してもらえることになったと聞いている。それで、お前がその自治区の総督に任じられた――と」

 クローネの民というのは、クローディアの聖域内に住む、亜人のことだ。姿形は人間とほとんど変わりないが、種としてはまったく別のものだと主から聞かされたことがある。彼らは女神クローディアから聖域の管理を任された者たちであり、主は彼らのことを聖域の番人とも呼んでいた。

 よくご存知で――ローレンスはそう言いたげに鼻から息を吐いた。

「その情報はクラウスから聞き出したのか?」

「別にわたしのほうから聞き出したわけじゃない。だが、使用人がいとまを貰おうとすれば、その理由を主人に話すのが筋というものだ」そう言って主は小さく笑った。

 クラウスというのは、主が雇っていた使用人の名前だ。使用人であるとともに主の弟子でもあり、初級の魔法であれば多少扱える。私のほうが――ほんのわずかではあるが――先に館に住んでいたので、私にとっては弟弟子ということになる。

「そうか。協力してもらっておいて、俺の口から直接報告できず、すまなかった」

「別に構わないさ。聖域侵攻そのものにそこまで関心があったわけでもない。遺跡で手に入る神の遺産だけは別だがな。それよりも、クラウスの奴が聖域の件に巻き込まれて館を離れてしまったことのほうを詫びて欲しいものだ。おかげでこの数ヶ月、わたしの館は荒れ放題だ」

 主はこれ見よがしに肩をすくめた。

「――で、今回わたしを呼び出したのも、聖域がらみの話なのだろう?」

「そのとおりだが……。使いの者から詳しい話は聞いてないのか? ちゃんと説明するようにと言い含んでいたはずなんだが……」

「たしかに、使いの者は色々と話していたよ。だが、わたしのほうで、お前が聖域のことで困り果て、わたしを必要としているというところだけ記憶した。あとはお前から直接話を聞いたほうがいい」

 ローレンスはお前らしいと言って笑うと、戸棚から手ごろな酒瓶とグラスを取り出し、酒瓶の中身をグラスに注ぎ込んだ。芳醇な葡萄の風味が香りたつ。もうひとつグラスを用意して主にも勧めたが、主はそれをやんわりと断り、部屋の中央にあるテーブルを挟む形で置かれた長椅子の片方に腰を下ろした。

 私はテーブルの上に積まれた果物の山を見つけて、主の身体から降りるとその山に走りよった。宝石のように真っ赤に染まった林檎はまさに食べごろだった。主の顔をうかがうと首を縦に振って見せたので、私は遠慮なくそれにかぶりついた。

「現在、俺たちは神の遺産を得るために、クローネの民の許可を得て聖域にある遺跡内に探索隊を送り込んで遺産の回収を進めている」

 ローレンスはグラスに注がれた赤紫色の液体を一気にあおり、喉を鳴らしてから先を続けた。その顔からは先ほどまで浮かべていた笑みが完全に消えていた。

「いまから八日前、部隊のひとつが、アンジェリア遺跡の探索を開始した。部隊は二日に渡る探索で地下に隠された施設を見つけ、その施設の奥にある巨大な――大人の身体よりも大きな黒水晶が置かれたホールにたどり着いた。黒水晶には鎖が巻かれ、その鎖はまるで黒水晶が倒れるのを防ぐかのように部屋の床に楔で打ちつけられていたらしい。黒水晶に巻きついた鎖同士は金属プレートで結合されていたそうなんだが――」

 ローレンスは「ちょっと待ってくれよ」と言って、手に持っていたグラスを棚の上に置くと、執務机に向かって行った。そして、机の引き出しの中からひとつの箱を取り出し、それを持って主の向かいの椅子に座った。

「そのプレートに嵌め込まれていたのが――こいつだ」

 テーブルの中央に小さな箱を置くと、ローレンスは無骨な手でその箱の蓋をゆっくりと開いた。開けられた隙間から山吹色の暖かな光が漏れる。その箱の中には主の握りこぶしよりも少し小さいくらいの球体が収められていた。それを目にした主の眉がこれ以上ないくらいに持ち上がった。

「こいつを知っているのか?」主の反応にローレンスが身を乗り出した。

「……おそらくな。これは“太陽の宝玉”だろう。名前のとおり、太陽を模したものだ。見かけだけでなく、効果そのものもな。もちろん本物の力に及ぶはずもないが……。本来は恒久的な動力機関に用いたりするためのものだ」

「そうか。やはりな……」

 合点がいったとばかりに何度もうなずくローレンスに、主は話の続きをするようにと促した。

「報告によれば、黒水晶の下の床には遺失文字が刻まれた扉があったそうだ。つまり、扉の上に重石のような形で黒水晶が置かれていたわけだな。そして、遺失文字の解読を含めて黒水晶の周りを調べている過程で、この宝玉は取り外された。宝玉が外されると、鎖はあっさりとほどけ落ち、それと同時に黒水晶は粉々に砕け散った。次の瞬間、黒水晶の下にあった扉が押し開けられ、奥から黒い霧が噴出した――」

 ローレンスの話に私は呆れてしまった。仮にも聖域の――それも使徒の遺跡なのだ。侵入者を拒む強力な魔法の罠が仕掛けられていたとしても不思議ではない。それがなにをなしているものなのかよく調べもせずに、よくもまあ宝玉を取り外したものだ。無用心にもほどがある。主の顔を見てみると、そこにも似たような感情が読み取れた。

「その後、黒い霧に巻かれた隊の者たちは正気を失い、同士討ちを始めた。おそらく、黒い霧は人を狂戦士と化す魔法と同じような力を持っているんだろうな。隊の中で正気を保っていられたのは、部隊長である騎士とその従騎士の二人だけだったそうだ。部隊長は従騎士にことの次第を俺に報告するように命じると、自分は従騎士を逃がすためにその場に残った。そして、従騎士だけがアンジェリアの遺跡から生還したというわけだ。アンジェリア遺跡の内部から発生した黒い霧は、遺跡外にも漏れ出し、いまもその勢力を広げている。このままだと、周りにあるほかの遺跡にも及ぼうかという勢いだ」

 ローレンスの話を聞いた主は、長く伸ばされた顎鬚に手をあててゆっくりと撫でた。

「……その部隊長というのは己の精神力で黒い霧の力にあがなったのだろうな。いつまで正気を保っていられたかは知らないが、一時的とはいえ大したものだ。そして、従騎士が狂気に駆られずにすんだのは、太陽の宝玉を持っていたからというわけか……」

 ローレンスは深くうなずき、テーブルの上に置かれた宝玉を手に取った。その手に握られた宝玉が美しくきらめく。宝玉の放つ光が、まるで春の日差しのように私の身体に降り注いだ。ためしに目を閉じてみると、あたかも屋外で日光浴をしているような気持ちになれた。

「お前の言ったように、こいつには太陽と同じ力があるようだ。黒い霧がアンジェリア遺跡から漏れ出してすぐに、黒い霧が太陽の光によって徐々に浄化されていくことが確認されている。――とは言っても、日中の浄化速度よりも日の照ってないときの拡散速度の方が速い。このまま放置しておけば、周囲にあるほかの遺跡を探索できなくなるだけでなく、聖域全体が黒い霧に覆われてしまう……」

「それどころか、レイフィールド全土――果ては世界中が黒い霧に飲み込まれてしまう可能性もあるわけだ。……なるほど、まさに一大事だな」

 自ら一大事と言いつつも、主にとってはそれすら他人事のようだった。かくいう私にとっても他人事だった。まあ、私個人にとっては、寿命が尽きるのが早いか黒い霧に巻かれるのが早いかという話で、そこまで気にするような問題ではなかったのだ。

「これまでの経緯と現状はざっとこんなところだが、遺跡の中で起こったことの詳しい話を聞きたければ、唯一の生還者である従騎士をここに呼ぼう。戻ってきてからしばらくのあいだは憔悴しきっていて会話もおぼつかない状態だったが、いまはもう落ち着いている。前に報告を受けたときには記憶も混乱していたようだが、それもそろそろ整理できただろう。もしかすると、新たになにか思い出しているかもしれない」

 主は少し考えるそぶりを見せてから、「その必要があるかどうかは、わたしのやるべきこと次第だな……」と、あらためてローレンスの目を正面から見据えた。そして、単刀直入に問いかけた。

「事件のあらましはわかった。……それで、ローレンス、お前はわたしになにをして欲しいのだ?」

 その主の質問に、ローレンスの表情はいよいよ厳しいものになっていた。

太陽の宝玉



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