LOST ウェイトターン制TRPG


聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 04.伯爵との取り引き

 ローレンスは主の問いにすぐには答えず、顔の前で両手の指を交差させるとそこに額をつけた。よほど言いにくいことなのだろうか、口の中の唾液を二度飲み込んだのがわかった。

「……お前に使いを出している間にこの宝玉の効果を試してみたんだが、こいつが黒い霧を退けられる範囲は、せいぜい二メートルがいいところだった。つまり、一人の活動範囲が限界というわけだ」

 そこで一度言葉を切ると、ローレンスは頭を上げて主と目を合わせた。

「俺の知る限り、単独で遺跡に入って黒い霧の発生原因を探り、それを止められるだけの力を持った人物は――」

「断る」

 ローレンスの言わんとしていることを察した主は、ローレンスがすべてを言い終えるのを待たずにその言葉を遮って断言した。小さな声だったが、有無を言わさぬ力があった。

 そして、主はまるで交渉は決裂だといわんばかりに席を立った。用件が済めば酒を拒む必要はないと思ったのであろうか、戸棚のところまで歩き、先ほどローレンスが開けた酒瓶の中身を空いたグラスに注ぐ。

 それでもなおローレンスは食い下がった。

「だめか?」

「だめだな」と、主は大きくかぶりを振って見せた。

「黒い霧がこのまま広がれば……いや、聖域探索の進行が遅れるだけでも、この国の存亡に繋がりかねないということはお前も判っているはずだ!」

「この国の命運などわたしの知ったことではない。単独で遺跡の中に入れということは、わたしに命を懸けろということ。どれだけ力を身につけようとも、所詮は人間――容易く死に至るのだ。それはお前もよくわかっていることだろう」

 主の言葉を聞きながらローレンスは拳を強く握り、それをテーブルに押し付けていた。テーブルの上に居る私にもその拳の震えが伝わってきた。

「それは……わかる。だが、お前にしか頼めないんだ……。危険に見合うだけの報酬は約束する! 俺のできる限りのことを惜しまずする!」

 まっすぐに主を見つめるローレンスの瞳には偽りや躊躇いは感じられなかった。しかし、主には取り付く島もなかった。

「お前が何と言おうとも、わたしの命に見合うだけの報酬はこの世に存在しない」そう言い放つと、主はグラスをあおった。

 自らの命の価値は世界よりも勝る――この主らしい物言いに、思わず私は林檎を食べる手を止めて笑ってしまった。本当になんて高慢な人なんだろうか。私は主のそんなところも含めて敬愛していたから、これは痛快だった。

 そんな私の反応とは逆に、ローレンスは表情を曇らせていった。普段から常に自信に満ちた晴れやかな顔をみせていたローレンスだけに、その落差は大きかった。私は少しだけローレンスに同情したが、主がだめだというのだから仕方ない。

 ところが、主の言葉はそれだけでは終わらなかった。

「その代わりといってはなんだが――太陽の宝玉の複製品を作ることならばできる」

「本当かッ!?」

 主の言葉が終わるや否や、テーブルに両手をついて身を起こしたローレンスが叫んだ。その表情には先ほど見せた影が微塵も残されていない。

 主は左手に持ったグラス越しにころころと変わるローレンスの表情を眺めていた。髭の豊かな主の表情の変化は読み取りにくかったが、わずかに笑みが浮かんでいるようにも見えた。そうだとしたら主も意地が悪い。

「おそらくな。わたしは以前、類似品を作ったことがある。それをつくるには主素材としてイグリアス鉱が必要なんだが、幸いなことにわたしの館にいくらか残っている。そうだな……劣化複製品でよければ二つはつくれるだろう」

「イグリアス鉱?」

 ローレンスはその名前をはじめて耳にしたらしく、復唱してみせた。

「知らなくて当然だ。ボルグヒルド山の地中深くから採掘される希少鉱石だからな。魔法の炎でなければ加工もできないから買い手もつかず市場にでることもない。ごく限られた者しかその存在を知るまい」

 ボルグヒルド山は西方のアレニウス王国にある活火山である。火口から噴き出す有毒ガスが麓付近まで充満しているため、通常の方法では人が踏み入ることはできないといわれている山だった。

 どのような方法でその山中に入り、希少鉱石を採掘しているのかまでは私も知らなかった。もしかすると、山裾から延々と地下に穴を掘り進んでいるのかもしれない。それとも有毒ガスを免れる術があるのだろうか。どちらにしても、イグリアス鉱の採掘が極めて困難であろうことは容易に想像できた。

「――とにかく、お前の館にそのイグリアス鉱があるというなら、すぐにでも誰かを取りに向かわせよう。しかし、急いでも二日は掛かるだろうな……」

 早速行動に移そうとするローレンスだったが、主がそれを制した。

「それは心配しなくてもいい。あれならば魔法で手元に取り寄せられる。それよりも、合成に必要となる副素材が足りない。ヘリオドール、グローツラングの瞳、ユルングの鱗、ドロストードの毒袋――」

 主は指折りながら合成素材の名を挙げていった。少しでも黒魔法をかじったことがあるものならば、馴染みのある素材たちだ。そこそこ値が張るものもあるが特別手に入りにくいということもない。

「市壁内のマーケットでは他所から来た商人たちも店を開いていたようだから、そこで不足している素材は集められるだろう。今日はもう店じまいも済んでしまっただろうからな、明日の朝いちで合成に必要な素材を調達しに行くとする」

 主が部屋の東側に並ぶ窓に目を向けると、窓の外はすでに日が落ちて真っ暗になっていた。

「それくらいなら俺のほうで手配するぞ」

「いや、合成素材としての良し悪しは普通の品定めとは勝手が違うのだ。わたし自身の目で判断するのが一番だろう。粗悪品を用いると、合成に失敗しかねないからな。それでイグリアス鉱を台無しにでもしたら目も当てられない。それとも、この街にある素材を根こそぎかき集めてくれるのか?」

 主は冗談交じりにそう言ってみせたが、ローレンスは少しも躊躇うことなく、それも辞さないとうなずいてみせた。

「まあ、国家の一大事につながる事件ではあるし、それくらいのことはしてもらっても構わないのだろうが……。そんなことをするくらいならば――」

 そこまで言ってから主は小さく呟いた。一般会話に用いる言葉とは異なる神聖語の詠唱が私の耳に届いた。主は白魔法を唱えたのだ。

 主が詠唱を終えた次の瞬間、その左手の指にはめられた指輪が白く輝いた。光が大きく広がり、主の全身を包み込む。その光がほんの瞬きひとつの間に消え去ると、それまで主が立っていた場所には、若い女性の姿が残されていた。

 それは白魔法に分類される“姿写し”――術者が良く知る者の姿に変化する魔法の効果であった。希代の黒魔法使いとして広く知られた主だが、白魔法に関しても人並み以上に精通している。姿写しの魔法は悪用の恐れありと教会が使用を禁じている魔法のひとつだったが、主にとってそんなことはお構いなしだった。

「この姿で街へ買い物に出かけるのにふさわしい服を用意してもらおうか」

 女性の口から良く通る高い声が発せられた。

 女性の姿となった主の肉体年齢は二十代半ばといったところだろうか。ボリュームのある濡羽色の髪。目をあわせると飲み込まれそうになる深い漆黒の瞳。それらと対照的に肌の色は雪のように白かった。その姿はこの部屋に掛けられた肖像画に描かれた婦人たちのいずれにも劣らず美しかったが、全体に漂う雰囲気は可憐というよりも妖艶な魅力を色濃くまとっていた。

 ローレンスは主の姿を見て一瞬驚き、そしてあきれたような態度を見せた。

「その姿を見るのは久々だな」

「わたしがお前の前でこの姿になるのは……あの旅以来になるか」

 あの旅というと、主とローレンスが世界を巡ったときのことなのだろう。たしかに、私の知る限りでは、ローレンスが館を訪ねてくるときに主がこの格好でいたことは一度もない。

 主は私の前ではたびたびこの姿を見せていた。だいたいは街へ買い物に出かけるときである。この姿以外にも、主はそのときどきにあわせて老若男女問わず、いくつもの姿を使い分けていた。しかし、普段は先ほどまでの老人の姿でいることが多かった。主の話では、若い肉体は維持するだけでもより多くのエネルギーを消費するので効率が悪いということだった。

「しかし、わざわざその格好になる必要もないだろ? 買い物で値段交渉することを考えているなら、費用はすべてこちらでだすぞ」

 ローレンスの言葉に、主はわかっていないなといった様子で首を横に振った。

「今、この街にバウスフィールド公が来ているだろう?」

 ローレンスはいぶかしげに数度瞬きした。「バウスフィールド公はクローディア自治区の監査役だからな。この状況だ。ここに来ていても別段おかしくないだろ?」

「先ほどの姿では、あいつと顔をあわせたときに何か言われかねないからな。その点、あいつはこの姿を知らない」

「なんだ、そういうことか。反りが合わないとは思っていたが、心底嫌ってるんだな」

「当然だ。あのいかにも自分は人の上に立つ存在なんだと言わんばかりの偉そうな態度――思い出すだけでも虫唾が走る。金輪際、あいつとわたしが同じ場所に居合わせるようなことがないようにして欲しいものだ。それに――」主はその顔に悪戯めいた笑みを浮かべてみせた。「いくら金に糸目をつける必要がないからといって、相手の言い値でものを買うのでは面白みの欠片もない。不等価交換は魔法の真髄のひとつであり、わたしの数少ない楽しみのひとつでもあるのだ」

 そんな主に対し、ローレンスはやれやれと大きくため息をついた。

「お前がそう言うなら、やりたいようにするといいさ。その間に俺はアンジェリアの遺跡に送る三人を選び出しておく。それで、宝玉の複製品はどれくらいで仕上がる?」

「そうだな……五日。いや、四日後の昼までに用意しよう。わかっているだろうが、代償は大きいぞ?」

「もとよりその覚悟がなければお前を呼び出したりはしない。それに、複製品の合成だけならこの世にあるもので支払えるんだろ?」

 軽口を叩いてみせたローレンスに対して主も笑顔で答えた。

「ならば、見返りの話だが……。聖域内で先月見つかった黒魔法の巻物の中で、誰も理解できなかったものがあっただろう? 使徒バーンハードの遺跡から発見されたやつだ。それをわたしのものにしたい」

「その情報もクラウスが話したのか?」

 頭をかいたローレンスを前に主はおどけてみせた。

「優秀な使用人だろう?」

 主の求めた報酬をローレンスが拒めるはずもなかった。それは交渉ではなく、一方的な要求だった。ローレンスは難しそうな顔をして「できる限り手を尽くそう」と答えるのが精一杯だった。それに対して主は、悪びれることなく目を輝かせてこう言った。

「なあに、いざとなれば聖域を制圧すればいいだけの話だ」

 口角を持ち上げてからグラスに残った液体を飲み干す主の姿は、まるで絵巻物に描かれた魔女そのものだった。

葡萄酒



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