LOST ウェイトターン制TRPG


聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 06.魔法使いの買い物

 建物の外に出ると、さすがに肌寒さを感じずにはいられなかった。日差しは暖かかったが、それよりも北風の運ぶ冷気の方が勝っていた。主の吐く息が白く染まる。寒さがこたえたのか、主は肩にかけたストールを首元に寄せなおした。

「とりあえず、必要なものはこれだけなんだが」

 そう言って主は腰に提げた小物入れの中に手を突っ込むと、その中に無造作に入れられた宝石類を掻き分け、奥のほうから小さく折りたたんだ羊皮紙を取り出した。それは、太陽の宝玉を合成するのに必要となる素材を書きとめたものだった。

 青年は羊皮紙を受け取ると、そこに書かれた品目に目を通していった。

「……結構多いですね。でも、これだったらお昼前には一通り揃えられると思います」

「あと、そこには書かれていないのだが、途中でカボチャの種を仕入れたい」

「カボチャの種?」

 青年は羊皮紙に落としていた目を上げて不思議そうに首を傾げた。

「ハックがどうしてもというのでな」

 主の冷えた指先が、服の隙間から顔を出す私の頭を撫でた。

 そう、肝心なことを忘れてもらっては困る。カボチャの種の買出しこそが、私にとってのメインイベントであり、そのために遠路遥々このクランジェルまで主に同行してきたようなものなのだ。

「なるほど……わかりました。では、まずは南通りにある雑貨屋に向かいましょう。そこで地元で手に入るものは大概揃います。その後に中央広場のマーケットで残りの品物を探すことにしましょう。カボチャはそのときにでも――」

 青年がカボチャ――正しくはその種――の話題を、まるで買い物のついでのように扱ったことが少し引っかかりはしたが、私も主もこの街についてあまり詳しくはない。案内役である青年の決めた経路に異論はなかった。

 こうして、大体の道筋を定めて青年が先を歩き始めると、主はその後を追って城の周りに巡らされた堀に架かる跳ね橋を渡った。跳ね橋を渡り終えると、さっそく正面奥にある中央広場の方から雑踏の音が聞こえ始める。まだ朝も早い時刻だというのに、マーケットにはすでに多くの人が集まっているのだろう。

 青年は中央広場を避けるように、城の前を横に走る通りを右手に折れて南へと向かった。城周辺の通りには商店などが軒を連ねることもなく、人通りも少ない。

 雑貨屋に向かう途中で、昨日バウスフィールド公の馬車が止まっていたあたりを通った。昨日は遠くから眺めただけだったのでわからなかったが、伯爵城の南に隣接している建物は、兵舎のようだった。

 さすがにバウスフィールド公の馬車の影は見当たらない。その代わり、私は白い祭衣に身を包んだ女性が、兵舎正門の前にたたずんでいるのを見つけた。身内か恋人が兵舎から出てくるのを待っているのだろうか? 寒空の下でひとりたたずむ女性の口元からは白い息が漏れていた。

 その姿にあらためて寒さを思い出した私は、一度身震いをすると、外気を避けるために主の懐の奥へと潜り込んだ。女性姿の主の服の中は、老人の姿であったときに比べると、随分と温かい。なるほど、主の言うとおり、より多くのエネルギーが消費されているというわけだ。

 私が主の懐に潜り込んだ直後に、服の中に伝わる上下の震動が少し早くなった。どうやら、主が歩む速度を速めたらしい。人の体温に包まれた中で味わうその揺れは、眠気を誘うほどに心地良かった。

 しばらくして、主の足音が石畳のものから木の床のものに変わったところで、私は再び主の襟元から顔を出した。

 周りを見渡すと、予想通り目的の雑貨屋の中に入っていたようで、人の腰の高さほどに揃えられた台や壁際に備え付けられた棚の上に数え切れないほどの品物が並べられていた。青年が地元の生産品で手に入らないものはないと話していたとおり、幅広い品物を取り扱っているようであり、それを買い求める客も仕立ての良い服を着た金持ち風の男から、薄汚れた服を着た少年までさまざまな層が見受けられた。

 店の奥には前掛けをした店主らしき男が立っている。見たところ四十代前半といったところだろうか。その男は愛想を振りまきつつも、客一人ひとりの動きを見逃すことなく目を走らせていた。

 主は店内を一通り見渡してから、ゆっくりと店主のもとへ歩み寄っていった。店主が主の接近に気がついて「いらっしゃいませ。何かお探し物ですか?」とお決まりの言葉をかけてくる。その声に主は上品な笑顔を浮かべて会釈を返した。

「あの……。クランジェルの街でこのお店が一番品揃えが良いと聞いて来たのですけれど……」

 それは普段の主の話し方とは明らかに異なる、か弱さを演出する口調であり、そこから始まった主の発する言葉は、いわば不等価交換の魔法の詠唱だった。

 それからしばらくは私にとってある意味で退屈な時間だった。主の口から欲しい品目名が挙げられたのは、最初の挨拶が交わされてからおよそ一時間後――教会から鐘の音がふたつ聞こえてきた後のことで、それまではひたすら雑談が交わされていた。それも、話題は装飾品やお茶や庭園などの実のない話ばかりで、聞いていてもまったく面白味のないものだった。

 主曰く、不等価交換を目的とする交渉の極意は相手に幻想を抱かせ、それが実体であると思い込ませることにあるという。とすれば、今回、主が相手に抱かせたかった幻想は、深窓の令嬢といったところだろうか。

 主の本性を知っている私は、その猫かぶりを前にして、大いに呆れかえり、またその見事さに舌を巻いた。おそらく後ろで主の言葉を聞いている青年も似たような気持ちだったろう。

 ともあれ、時間を掛けて行った主の布石は功を奏し、店主は商売っ気を抜きにして主に好意的な態度を見せてきた。有り体に言えば、鼻の下を伸ばしていたというやつである。

 ご丁寧なことに、店主は主が傷んだ品物を手に取ると、それに替えて状態の良い品物を薦めてくれたりした。合成材料としての質を見ていた主にとってこれは余計なお世話であったため、主はそれでも自分はこの一品に愛着を感じてしまったのだと、物の価値がわからぬ世間知らずな娘を演じ続けた。それがまた店主の心をくすぐったようで、主がいざ商品の値引き交渉を始めると、店主は総じて売値の六割の値段で販売してくれた。さすがに赤字ということはないのだろうが、それで店をやっていけるのかとこちらが少し心配になる価格である。

 さらに、支払いを済ませた後で主が伯爵城に滞在していることを告げると、今度は店主側から、ぜひ伯爵城まで荷物を届けさせて欲しいと申し出てきた。店主としては伯爵との人脈作りのチャンスだと踏んだのだろう。そのおかげで、次の買い物に向かうまでに手荷物で煩わされることはなくなった。

 最初からベネット伯の客人であることを告げていれば、そこまで時間を掛けずとも、店主は自ら喜んで値段を下げたのではないかとも思えたが、思い起こせば主は端からそんなことは望んでいなかった。

 こうして、店の外まで見送りに出てきた店主に目いっぱいの愛想を振りまいて、主は満足気に雑貨屋を後にした。

 雑貨屋を出た後も、しばらくの間、主は上機嫌だった。ローレンスの用意した服が、もっと派手で開放的なものであったのなら、もう少し値引かせることができたのにと恨み節を漏らしていたが、その声は明るかった。

 案内役を務める青年はそんな主を見て、半分呆れたような笑いを浮かべていた。

「満足行く買い物ができたようで良かったですね。これで必要なものの半分くらいは揃えられましたか」

 青年は主から渡された羊皮紙に書かれた品目にあらためて目を通し、その内容を確認した。この後に向かう店順も再度確認したのか、口の中で何かを呟き、羊皮紙を畳んでポケットの中へ押し込む。

「それでは、次は中央広場のマーケットに向かいます。中央広場はとても混雑しているので、はぐれないように気をつけてください。もし良ければ手を――」

 そう言って青年は主に対して左手を差し出してきた。

 主は差し出された左手を見てから、青年の目を軽く睨んだ。

「わたしは子供ではないのだよ?」

「もちろん、子ども扱いしてのことではありません。これは年頃の女性に対するエスコートですよ」

 青年は主の睨みに怯まず、逆に優しくほほえんで見せた。

「街中をその身なりの女性が歩いていれば、良からぬことを考える輩もいます。もちろん、貴女は容易くそのような輩を懲らしめることができるのでしょうが、自分の姉上はか弱い女性であり、弟としてはその姉上に良からぬ輩が寄り付かぬようにしなければなりません。それに、街中でいざこざを起こしたとなったら、被害者の立場であっても警備兵に長時間拘束されることになりますよ。警備兵には自分の顔見知りも多いですし、そうなったら貴女の身分を隠して買い物を続けることもできなくなってしまいます。ですから、どうぞ――」

 青年は主がその手を取りやすいように、さらに主の近くまで手を差し出した。主自身の下した命令と主の嗜好を踏まえたうえでの、なかなかに巧いやり方である。

 主はやれやれと息をついて、仕方なさそうに青年の手に自分の手を重ねた。

 昼前の中央広場のマーケットは予想以上に込み合っており、その溢れかえる人ごみの中を移動するのは思った以上にたいへんだった。人波を掻き分けて歩くことに不慣れな主は、ときにほかの買い物客にぶつかり、よろけて転びそうになり、その都度、青年の手が主の身体を支えてくれた。最初は手を引かれることを嫌がっていた主ではあったが、すぐにそれが正しい選択であったことを実感したようだった。

 そうやって、ひとつ、またひとつと露店をめぐり、買い物も残りわずかとなったところで、二軒隣にカボチャを売っている店があるという好条件に恵まれた場所で主が買い物を始めた。教会が昼の鐘を鳴らすまでには、もうさほど時間もない。私はこのときとばかりに主にカボチャの種の購入をせがんだ。

 主はすでに合成材料の品定めをはじめたところで、仕方ないとばかりに青年を見た。

「すまないが、ハックを連れてそこの店でカボチャを買っておいてくれないか? ほら、その二軒先の店だ」

 そう言って、主は私を掴むと、その手を青年の目の前に突き出した。

「ですが、そばを離れるのは……」

「心配はいらない。カボチャの品定めはハック自身がするから、キミがわたしから目を離さなければならなくなることもほとんどないはずだ。何かあったときに間に合わない距離でもないだろう。わたし自身も面倒ごとに巻き込まれないように注意しよう」

 渋る青年の手に私を預けると、主は「わたしの安全を気にしているなら、早くそちらの買い物を済ませてくれよ」と青年の背を押した。

 こうして主の手から青年の手へとその居場所を移した私であったが、青年の掌は思ったよりも硬かった。主の部屋に入ってきたときに青年が提げていた剣にはほとんど使われた形跡がなかったのにも関わらず、青年の掌はいくつものマメの上にさらにマメができた状態で、まるで煮固めた革のようだった。

 青年は困った顔をして、自分の掌に居る私と目をあわせると、「それじゃ、早めに頼むからな」と私に声を掛けてきた。

 私はそんなつもりは毛頭なかったので、ついと顔を背けた。念願のカボチャの種なのだ。時間を掛けてじっくりと選ぶ必要がある。青年は自分の責務を果たすために必死なのだろうが、この街中で主の身が危険にさらされることなどあるはずもない。

「お前、言葉わかるんだよな? 今、明らかに拒否しなかったか?」

 ああ、そうだよ。そんなに心配する必要はないさとばかりに、私は青年に手を上げて答えた。

「まいったな」青年はぼやきながら人ごみを掻き分けて、カボチャを並べる店先へと向かった。

 向かった先の店は冬野菜を多く取り揃えており、恰幅の良い女性が店番をしていた。

「いらっしゃい。今朝採りたての新鮮な野菜だよ。何をお探し?」店主であろう女性が青年に声を掛ける。

 青年は適当にカボチャを指差して女性に答えた。

「あの……その美味しそうなカボチャをひとつ――ぐッ!」

 私は青年の指に力いっぱい噛み付いた。主のことを気にかける青年は、手っ取り早く買い物を済ませてしまおうとしたのだろうが、そうは行かない。

「――カボチャをひとつ、見させてもらうよ。しっかり品定めをしないとね……」と、しどろもどろになりつつ青年が言葉を続けた。

「うちは店先には一級品しか並べないから、どれも美味しいけどね! 気に入ったのがあったら言っとくれ。カボチャを買うなら、相性の良いトマトと玉ねぎもおすすめだよ!」

 元気の良い女店主の声が、瑞々しい野菜をいっそう美味しそうに見せていた。

 青年は愛想笑いを店の主人に返すと、両手で私を包みこみ、それを自分の顔に近づけて、小さな声で「何も噛むことはないじゃないか」と恨めしそうに呟いた。

 私は何食わぬ顔をして、鼻先でカボチャに近寄るようにと青年に合図を送った。噛み付かれた痛みに懲りたのか、青年は時折心配そうに主のほうに目を向けていたものの、素直に私の指示に従った。

 さあ、いよいよベネット産のカボチャの種を品定めするときがきた。カボチャの良し悪しの八割はその軸が語るといっても過言ではない。私はじっくりと店先に並ぶカボチャの軸を眺めていった。しかし、私が見るのはそれだけではない。肝心なのは果肉ではなく種なのだ。美味しい種というのは、つまり子孫を残すための養分を果肉からしっかりと吸収した種ということである。ならば、果肉がより熟れたものの方が良い。

 私は青年の掌を引っかくと、今度はカボチャを叩くように合図した。一度の身振りでは私の意図するところがうまく青年に伝わらなかったようで、私は何度か同じ動作を繰り返さねばならなかった。主ならば私の言葉を理解してくれるのだが、言語能力の劣る者に意思を伝えなくてはならないというのは随分と骨が折れる。

「カボチャを……叩け? なんだか主婦みたいだな」

 私が指定したカボチャを青年が人差し指の背で軽く叩いていく。次々に奏でられるカボチャのノック音。果肉がぎっしりと詰まった音。軽く抜ける音。深く響く音。私は目を瞑り、ここぞとばかりに耳に神経を集中させた。コンコン――違う。コンコン――これも違う。私が求める最高の音は――

「……正真正銘……大魔法使いチカです……」

 不意に思わぬ言葉を耳にした私は、カボチャを叩き続ける青年をよそに、目を見開き、すくっと立ち上がった。青年の掌の上では周りの人間を見定められない。私は青年の腕を走りぬけ、その肩に駆け上った。

「どうした? このカボチャで良いのか?」

 私の拾った声のことなど知らない青年は、突然私が動き出した理由を理解できずにいた。しかし、今は説明している時間が惜しい。ここからそう遠くない場所で主の名前を口にした者がいる! まさか、本当に主の身を狙おうとする者がこの人ごみの中にいるのか? 私は何者がその言葉を発したのか突き止めようと必死になり、頭の中で先ほど聞いた声を反芻した。耳の奥に焼きつく少ししゃがれた太い声。声を定着させると、今度は青年の肩の上で再び目を閉じ、雑踏の中から同じ声を探す――

 幸いなことに、私の耳はそう時間を掛けず、その声の持ち主を見つけることに成功した。主の居る場所とは逆の方向。ここから数メートル先の店先。

 そこに見つけたのは、商人風の格好をした男と、頭をフードで覆った旅人風の格好をした人物の二人組みが身を寄せて小声で会話している姿だった。私が聞いた声はどうやら商人風の男のものらしい。

 突然、旅人風の人物がこちらの方に顔を向けた。フードの中に隠れた顔が明らかになる。そこには、黒髪に褐色の肌をした男の顔があった。それは近隣の国に住む者の肌の色ではない。南西の民――カーティス王国や南方諸国に住む者の肌の色である。

 黒い肌の人間を直接この目で見るのは初めての経験だった。それで驚いたということもある。しかし、何よりも、フードの奥にあってもなお白くはっきりと見える、その男のやけに鋭い、そしてギラつく目を見て、私は全身の毛が逆立つのを感じていた。

カボチャ



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