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聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 07.詐欺の代償

 首尾よく主の名前を口にした男たちを見つけ出した私は、青年にすぐさま主のもとに戻るように指示した。さすがに主の身の安全を第一に考えていた青年は、それに対する行動も早かった。

 主であれば、私の言葉を理解できる。主のもとに戻るなり、私は端的に自分が見聞きしたことを主に伝えた。そして、主を介して青年もようやく事態を飲み込めたのだった。話を聞いた青年は、これまで以上に周囲を警戒していた。

「わたしの名前を意味深に口にした男ね……」

 主は手に持った商品を品定めしながらそう漏らした。

「よし。買い物は十分堪能したし、交渉は切り上げて、その男たちの様子をうかがってみるとするか」

「こちらから相手のところに行くんですか?」

 主の提案に青年は乗り気ではないようだった。

「ああ、そうだ。――とは言っても、近くまで行って反応を見てみるだけだがな。わたしの名前を口にするだけなら、そう珍しいことでもないだろう? だから、とりあえずは何者なのかを見定めたい。ハックが警戒心を抱く相手でなかったのなら本当は無視するところなのだが――」

 主はにんまりとして「何やら面白そうな予感がする」と続けた。その主の表情を前にして、私は嫌な予感しかしなかった。

 主は交渉を省いて店側の言い値で商品を手早く購入すると、早速私にあの商人風の男と異国の旅人が居るところまで案内するようにと促した。私の指示で青年が人ごみを掻き分けて進み、そのすぐ後ろに手を引かれた主が続く。

 目的の男たちは、まだ先ほどと同じ場所――道の端の方で小声でのやり取りを続けているようだった。男たちの顔が見えたところで、私は青年を立ち止まらせ、主に彼らがその男たちであることを告げた。

 主は青年の耳を引っ張り、顔を近づけさせると、その耳元でささやいた。

「こちらに気づく様子もないな。いくらこの混雑の中に紛れているといっても、わたしのこの恰好がまったく目に入っていないということは無いだろう」そう言って、ほかの買い物客に比べて明らかに目立つ自分の衣装の端をつまんで見せる。「つまり、少なくともこの姿のわたしが誰であるのかを見抜いてつけ狙っていたわけではないようだ」

 たしかに、男たちが主をつけ狙っていたのだとしたら、主の動きを見逃すとは思えない。はじめに耳にした商人風の男の意味深な言葉と、黒い肌の男の鋭い眼光に、もしやと思ってしまったが、どうやら私の早合点だったようだ。青年の心配性が感染してしまったかな――と、自嘲気味に肩をすくめて青年を見ると、こちらは少し安心したような表情をしていた。

「ハック。お前の耳なら、この雑踏の中でも彼らの会話を聞き取ることができるだろう?」

 主にそう問いかけられた私は、自信たっぷりに拳で胸を叩いてみせた。すでにかすかにではあるが、男たちの声が耳に届いている。集中すれば十分聞き取れるはずだった。

 主は青年の手を引くと、男たちのそばにある店の前に向かい、その店の商品を手にとって買い物をするふりをはじめた。

 私は青年の手から主の肩へと渡り移ると、そこから男たちの会話に耳を傾けた――

「……ねえ、旦那。さっきも言った通り、誰にでもすすめるってわけじゃないんですよ。旦那が腕の立つお人だとお見受けしたからこそ、こうやって特別にお声掛けしているわけです。確かに安いもんではありませんが、旦那だったらこの秘薬の価値がおわかりになるでしょう?」

 どうやら商人風の男が異国の男に薬を売りつけようとして、売り文句をささやいているようだった。それに対し、異国の男は特徴的な南西訛りのだみ声で答えていた。

「その秘薬が本物だったら、あんたが言うだけの――いや、それ以上の価値がある代物だってのはわかる。だが、それが本物かどうかは使ってみねぇことにはわからねぇからな。試してみるだけの量はねぇんだろ?」

「ええ。たいへん貴重な秘薬で、あと一本しかありません。ですが――これを見てください。魔導文字は読めますか? 大きな声では言えませんが、先ほどもご説明したとおり、この秘薬を調合したのはあの大魔法使いチカです。これはその大魔法使い直筆の証明書ですよ。ほら、ここを見てください。チカの署名があるでしょう?」

 ――なんだ、そんなことだったのか。私は男たちのやり取りを聞いて、商人が意味深に主の名前を口にした理由を理解した。要は主の名前を騙った詐欺商売が行われていただけのことだったのだ。私が主に確認するまでもなく詐欺だと判断したのは、主がわざわざ黒魔法に用いるための魔導文字で証明書を書くことなど絶対にありえないと知っていたからだ。主ならばせいぜい自分のみがわかるように遺失文字で薬品名を書いて終わりである。他人の手に渡ったときのことを考慮して、せっせと証明書をしたためる主の姿など想像できようはずもない。

 私が耳にしたことをそっくりそのまま主に伝えると、彼女は残念そうに空を仰いだ。

「なんだ、その程度のことか……。いっそ襲い掛かって来てくれた方が楽しめたのにな」

 主が物騒な単語を口にしたものだから、青年があわてて主の顔を覗き込んだ。

「そんなに心配するな。ただ詐欺商人がわたしの名前を騙って偽の薬品を高値で売ろうとしていたというだけの話だ」

「詐欺商人ですか――」

 青年は主の説明に合点がいったのか、深くうなずいて先ほどまでの緊張を解いた。

「確かにこの街は市門を開放しているため、その手の輩が絶えませんからね。その分、刑罰はよその土地に比べて重いんですが、それでも以前はそういった手の商売に引っかかる者が多くてたいへんでした。さすがにこのところは買い手側も警戒していて、被害は減りつつあるようですが……」

「なるほど。だから余所者相手にコソコソと商売しているわけか」

 青年がチラリと商人と足止めされている旅人のほうに目を向けた。

「そのようですね……。もし良ければ少し時間をいただけませんか? 警備隊の者にことのことを伝えたいのですが」

「いや、それにはおよばない。ミスト、ちょっとこれを持っていてくれるか?」

 主はそう言うと、手に持った商品を青年に預けて、商人たちの方へと足を向けた。青年は慌てて追いかけようとしたが、主に預けられた商品を店に戻すのに手間取り、遅れをとった。

 主の接近に気づく様子もなく、男たちは話を続けている。異国の男は商人から渡された証明書に目を通していた。

「確かに、署名はあるようだが……」

「そうでしょう? その証明書に書かれているように、秘薬は元々十本あったんですが、それぞれ腕の立ちそうな方にご購入いただきまして、もう残すはここにある一本のみなんです」

 商人は肩から提げた小物入れを軽く叩いて見せた。

「何せ大魔法使いが作った秘薬ですからね。そこらへんに売られてる傷薬なんかとはわけが違います。どんな傷であっても、その傷口にこいつを注げばたちどころに傷が治る。それどころか、ゴクリと飲めば一年は寿命が延びるときてる。命を買うと思えば金貨五十枚でも安い買い物ですよ」

「――それはまことなのですか?」

 小声で話を続ける男たちの背後から、不意に主が買い物をするときのあの口調で声を掛けた。突然の声に、あわてて商人が主を振り返る。それに少し遅れて、異国の男も主の方に顔を向けた。

 振り向いた瞬間、商人の目は大きく見開かれていたが、主の姿を見て警備隊の類でないことがわかると安心したのか、すぐに穏やかなものへと変わっていった。

「おっと、お嬢さんの耳にも入ってしまいましたか? 秘薬の話は、わたしがこの人と見定めた方にしかお話しないことに決めていたんですけどね……。お嬢さんは今の秘薬の話に興味がおありですか?」

 商人は人の良さそうな顔をしている。しかし、その顔に張り付いているのは作り物のような笑みだ。その笑みの中で目だけがギョロリと動いて、主の姿を舐めるように見回していた。

 その視線を避けるように主はうつむくと、小さく「はい」と答えた。

「そうですか……」商人はもったいぶってから、「いいでしょう。あなたはとても良い瞳をしている。知性と理性を備えた、人の上に立つ者の瞳だ」といかにもな言葉を並べ立てた。しかし、おそらくこの商人が見定めたのは主の瞳の奥に垣間見える人間としての資質などではない。カモかそうでないかを判断したのだ。そして、主の恰好と挙動から、この商人は主がカモであると判断したわけだ。もし、本当に主の瞳の奥を覗いたのであれば、そこに隠された邪気に気づけたかもしれないのに――と、私は商人の未熟さを哀れんだ。

 商人は異国の男と主の顔を交互に見ると、「仕方ない……それじゃ、高い値段をつけた方に譲るってことでどうでしょう?」と、自分本位な提案をし始めた。

 異国の男はその商人の提案にピクリとも反応せず、ただ吸い込まれるように主の方に目を向けていた。多くの男たちがそうであるように、主の偽りの美貌に目を奪われているのだろうか? 最初に見たときの鋭い眼光に、この男は只者ではないのではないかと感じたのだが、それは誤りだったのかもしれない。

「あの、そちらの方がよろしければ、ぜひわたくしにその秘薬をお譲りしていただきたいのですが……。その前に、一度その秘薬をお見せいただいてもよろしいですか?」

 主の言葉に商人の表情がパッと明るくなった。

「ええ、ええ。いいですとも」

 今度は作り物ではない本当の笑顔を浮かべながら、商人は肩から提げた鞄の中から木製の小箱を取り出した。そして、その小箱の蓋を慎重に開けると、その中から布に包まれたガラス細工の瓶を取り出す。その小瓶は、ちょうど私の身体と同じくらいの大きさだろうか。人が飲むならば一口分くらいしかなさそうだ。その小さな瓶の周囲には金属製の補強が施されており、多少の衝撃くらいでは瓶が割れないようになっていた。

「まあ、これが秘薬なのですか。貴重なものなのでしょう? くれぐれも落としたりなさらないでくださいね」と、主が心配そうにガラスの小瓶を見つめて両手を胸元で合わせてみせた。

 このとき、私の耳には主の口元から漏れるかすかなささやき声が届いた。そのささやきは主が鉱石を精錬するときに用いる魔法の詠唱だった。次の瞬間、主の右手にはめられた指輪が黒く輝く。

 そんな主の行動に気づきもせず、商人は「それはもちろん。こうやってしっかり持っておりますから――」と、瓶の腹に右手の中指から小指までを回して親指とで挟みこみ、人差し指で蓋を押さえつけるように持ってみせた。そのしっかりとした持ち方は、見せはするが渡しはしないといった主張であるようにもとれる。

 主もまた、その瓶を手に取らせて欲しいとはせがまなかった。逆に、商人の手の外側にそっと両手を添える。

「せっかくの秘薬を目の前で落とされてはかないませんから。よくお持ちくださいね」

 妙齢の女性の柔らかな手の感触に、商人は表情を緩ませた。

「そんなに心配なさらなくても、大丈夫ですよ。私もひとかどの物売りですから、品物の取り扱いには慣れております。万が一にもこの大切な秘薬を落とすようなことなど――」

 そこで商人の表情に変化が現れはじめた。

 主の手が外側に添えられたことに気をとられて、すぐには気づかなかったのだろう。しかし、主の魔法が完成してから数秒が経ち、その効果はごまかせないほどになってきているはずだった。

 表情を崩した商人とは反対に、主の顔には満面の笑みが広がっていった。

「どうなさったのですか?」

 主が添えた両手にわずかばかりの力をこめる。

 自分の手の中で何が起こっているのか把握しかねた商人は、驚きの表情を自分の右手に向けていた。その口からは「え?」とか「あ?」などと言葉にならない声ばかりが漏れ、やがてその混乱は恐怖へと変わっていった。

 その変化に耐えかねた商人が手を開こうとしたが、主の添える手がそれを許さなかった。

「は、放してくださいッ!」

「だめですよ。大切なものなのですから。ほら、しっかりとお持ちになって」

 はたから見ている分には、まだ何が起きているのかわからなかったが、商人の手の中では先ほど主が唱えた黒魔法の効果が発揮され、秘薬の小瓶を保護する金属が徐々に発熱しているのだった。金属の発する熱量は時間と共に天井知らずで増加してゆく。やがては本来の用途である鉱石を溶かすほどに――

 商人は右手の内に握りこんだ金具の熱さに耐えられなくなり、装いをかなぐり捨ててその素の顔を露呈させた。

「やめろッ、放せッ!」

 慌てて空いた左手で主の手を振りほどきにかかった商人であったが、主はそれにあがない、小さな両手にさらに力をこめた。さすがに女性の身では男の力には敵わなかったが、それでも商人が主の手を払いのけるまでのわずかな間に、小瓶の回りに巡らされた金属が、まるで炉で熱したように赤く染まっていった。

 次の瞬間、商人は声が枯れるほどのすさまじい悲鳴を張り上げた。それと共に、辺りには肉の焼け焦げる臭いが漂う。

 悲鳴に紛れて、小瓶が石畳の上を転がる乾いた音が聞こえた。小瓶を守るために付けられた金具はその役目を果たしたが、瓶が石畳に落ちた拍子に蓋は取れ、中から透明な液体がこぼれだしていた。

 それは、商人の言葉通りであれば金貨五十枚の価値がある液体のはずだったが、今の商人にそれを気にする余裕はなかった。そして、もしこぼれ落ちた液体が本物の秘薬であったのならば、火傷した右手を液体に付けることでその傷すらもたちどころに治せたのだろうが、商人はそうしようとはしなかった。やはりその液体は秘薬でもなんでもない、まったくの偽物だったのだろう。

 商人は右手を小刻みに震わせながら、地に伏せてうめいていた。その手の内側にはくっきりと火傷の跡が刻まれている。それはまるで奴隷の背中に付けられる烙印の跡のようだった。

 周囲が騒がしくなってきたので辺りを見渡すと、商人の絶叫が呼び水となり、主と商人、そして異国の男の周りに人だかりができてきていた。何事があったのかと、買い物客たちが足を止めてこちらを覗きこんでいる。そこには青年ミストの姿もあった。何かあればすぐにでも飛び出せる姿勢を見せているが、とりあえずは傍観するつもりらしい。

 主はうずくまる商人に近寄ると、介抱するように彼の右手を両手で包み込みつつ、野次馬たちには聞こえぬようにその耳元でささやいた。

「わたしの名前を騙って商売をするとはいい度胸だな――」

 その言葉に商人はハッと顔を上げて主の顔を見た。その途端、主の漆黒の瞳が商人の瞳の奥を射抜く。言葉とは裏腹に、商人の瞳に映る主の表情はこの上なく愉快そうだった。

「わたしは人より長く生きているからな。経験上、お前のような嘘つきは、この程度の火傷では懲りずに同じことを繰り返すということを知っている……。さて、嘘つきは二度と商売などできないように魔法で豚に変えてやろうか? それとも蛙にしてしまおうか? 人生最後の選択だ。なあ、どちらがいい?」

「ま、まさか……本当に、貴女が……?」

 商人は顔を真っ青にして、身体を小刻みに震えさせていた。その震えは、もはや右手の火傷の痛みによるものではないだろう。

「ほら、早く選んでくれ。わたしもそれほど暇ではないのだ。どちらでも良いなら豚だな。私腹を肥やすことに夢中な畜生には豚の姿が相応しい」

「た……助けて……助けてください……。もう、こんな商売は二度としません。本当です! 信じてください! お詫びに、そこにある商品をすべて差し上げますから!」

 商人は必死に命乞いをしながら、道の端にある見落としてしまいそうなほど小さな露店を指差した。そこにはひと一人が持ち運びできる程度の、異国の小さな調度品が並べられていた。その品々はどう見ても一級品とは思えない。むしろ、不要になった物を処分しようとしているかのような品揃えだった。

「なんだ、それがお前の店か? 並べてあるのはどれもこれも二束三文のガラクタばかりではないか。命乞いの代償にこのようなガラクタしか差し出せないとは、ひとかどの物売りが聞いて呆れる。それで腐った商売に手を染めるなど――」

 これ見よがしに商人を罵る主であったが、露店に置かれた物を見ていく途中で何かに気がつき、その言葉を途切れさせた。

「ん? おい、あの置物は何だ?」

 主は露店の奥に置かれた小さな置物を指差していた。いびつな形をしていたが、見ようによっては亀の形を模しているように見えなくもない。

 商人は泣きそうな顔をしてびくつきつつも、主の問いに答えた。

「それは、売り物じゃなくて……お守りみたいなもんです。故郷を離れる時に知り合いが商売繁盛のお守りにとくれたんですが、重たいだけでご利益なんてありゃしない……」

「ほう。お守り……ね」

 主はしばらくその置物に視線を送り、少し考えてから「わたしの予感は当たったな」と一人ごちた。

「そのお守りをくれた知人とやらに感謝するんだな。今回はそこにある物をすべて譲るという条件で見逃してやる。身に着けているものは勘弁してやるから、今すぐわたしの視界から消えろ――今すぐにだッ!」

 商人は主の言葉に弾かれたように跳ね起きると、人ごみを掻き分け、文字通り転がるようにしてその場から逃げ去っていった。商人の背中はすぐに見えなくなり、あとには主と異国の男が残された。

 加害者のいなくなった人溜まりに、教会から昼を告げる三つの鐘が鳴り響いた。どうやらこれ以上何も起こらないであろうことを感じ取った野次馬たちは、鐘の音に促されるように徐々にもとの流れへと戻っていく。

「あの男を見逃してしまいましたね。本当なら警備隊に引き渡すところなんですが……」

 ことの成り行きを見守っていた青年が主のもとに歩み寄ってきた。

「わたしは見逃したが、それはあくまで個人的なものだ。わたしはこの地の法を司っているわけではないからな。キミが望むなら、これから追いかけて捕まえるといい」

「いえ、非番ですし、やめておきます」

 青年はそっけなく答えると、店主の居なくなった寂れた露店を見て、「もしかすると初犯だったのかもしれませんね。この様子では、余罪があったとしても大したことはないでしょう」と、率直な感想を漏らした。

 主は逃げた商人のことなどもう興味もないとばかりに手をひらひらと踊らせた。

「さて、あの男との約束通り、この店にあるものはわたしが譲り受けたものだからな。これでようやくキミを同行させた甲斐があるというわけだ。手早くこの荷物をまとめて運んでくれ」

「やっぱり、そうなりますか」

 青年は苦笑いをして、露店の端に置かれた背負い袋を掴み取ると、その中へと商品を詰め込み始めた。

 そうやって青年が働く姿を主が手伝いもせずに眺めている中、だみ声で話しかけてくる者がいた。それはあの眼光鋭い異国の男だった。

「取り込み中のところすまねぇんだが、ちょっと良いか?」

 間近で見ると、その男は三十歳そこそこの年頃に見えた。背の高さはミストと同じくらいだろうか。男はフードの付いた埃まみれの外套をまとい、その上から大きな背負い袋を背負っていた。外套の裾からのぞく革靴は随分とくたびれている。それらは男が相当な長旅を続けていることを物語っていた。

「なんだお前、まだいたのか?」

 主はもはや深窓の令嬢を装うこともなく、殆どの初対面の者にそうするように、この男のことも煙たがって遠ざけようとした。しかし、そんな主の露骨に突き放すような態度をものともせずに、男はまじまじと主の顔を見つめてきた。主の背後では、青年が荷物をまとめる手を止めて男の顔を睨みつけている。

 その張り詰めた空気を壊すように、気の抜けただみ声が発せられた。

「いやあ、驚いた。本当にチカの姐さんなんだな。八年以上経ってるってのに、あの頃とまったく変わっちゃいない」

 自分を知っているかのような男の口ぶりに、主は眉をひそめた。

「お前、誰だ?」

「いやだな、姐さん。オレだよ。ハイロー。カーティスのハイローさ」

 男は自分を親指で指差すと、そう名乗った。

「ハイロー?」

 主はその名前を復唱して小首をかしげた。

小瓶



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