LOST ウェイトターン制TRPG


聖域の探索者イメージ

聖域の探索者 08.異国からの旅人

 黒い肌の男はカーティスのハイローと名乗った。カーティスとは西方にある神々の消失以降に興った新興王国の名前である。その歴史は、同じく神々の消失以降に興ったレイフィールド王国よりもさらに浅かったが、もともと神の支配力が弱かったカーティス王国では早い段階で聖域の探索が行われ、そこで得た魔法の品々を利用することで、五十年足らずの間に他の大国とも肩を並べるだけの軍事国家として台頭してきたのである。

 我が主も十年程前に、ローレンスと共にカーティスの地を訪れ、聖域の探索に勤しんでいた時期があったという。ならば、このカーティスから来たという男とはそのときに面識を持ったのだろう。先日、主がローレンスの前で女性の姿になったときに、この姿を見せるのは旅のとき以来だと漏らしていた。異国の男が女性の姿をした主の正体を見抜いたことは、その発言とも合致する。

 しかし、主はこのハイローという名の男の記憶を完全に忘却していた。

「ハイローという名前は記憶にないな……」

 男との面識を否定する主の言葉に促されたように青年が立ち上がり、主を庇うように二人の間に割って入った。

「ちょ、ちょっと待てよ。人違いなんかじゃねぇはずだ。姐さんとローレンスの旦那とオレの三人で何度も遺跡に潜った仲じゃねぇか――」

 慌てた男が主の肩に向けて褐色の腕を伸ばしてきたが、青年の手がいち早く素早くそれを掴み取った。青年のその動きに、男の顔にわずかながら驚きの色が浮かぶ。

「こっちは知らないって言ってるだろ。あんたいったい何のつもりだ?」

 自分の責務を果たそうとする青年の声は、これまでのものとは打って変わって高圧的で力強かった。

「何のつもりって、ただ知り合いに挨拶しただけだ」

「どうだかな」男の弁解に耳を貸すことなく、青年は掴んだ腕にいっそう力を込める。

 当の主が記憶にないと言っているのだから、青年が疑うのも当然だ。しかし、私は判断をつけかねていた。というのも、主の記憶というのは、一般の者のそれとは少し性質が違うからだ。

 主は普通の人間とは比べ物にならないほど多くの情報を記憶している。それは私が主を世界一賢い存在だと評する要因のひとつだが、その反面で大きな障害も抱えている。これは主から聞いたことなのだが、主はあまりにも膨大な量の情報を記憶すると、それ以上何も記憶できない状態に陥ってしまうらしいのだ。そのため、重要ではないと感じた情報は極力得ないように、そして不要になった情報は意識して忘却するように努めているのだと主は話していた。

 だから、この状況においても、男が本当のことを話していて、主がそのことを忘却しているだけのことなのかもしれない。だとすると、青年が男に嫌疑を掛けることで要らぬいざこざを生じさせるのも馬鹿らしいのだが……。私が心配して主の顔をのぞき見ても、主がそれを止めようとする様子は見られなかった。

「やれやれ。頼むよ、姐さん。思い出してくれって」

 男は腕を掴まれたまま、もう一方の手で頭に被っていた外套のフードをおろした。不揃いに切られた癖のある黒髪があらわになる。長い間洗髪していないのか、脂と埃にまみれ、清潔感は微塵も感じられない。男はその汚らしい頭に手を当てると、ボリボリと音を立てて掻いた。そうして、目を細めて青年の顔をちらりと見たあとに、自分の腰に目を落とし、「こんなところで面倒ごとなんてご免なんだがなぁ」と小さく呟いた。

 男の腰のベルトには、比較的大き目の腰袋と共に使い込まれた短剣が提げられている。一方の青年は主の部屋に剣を置いてきていたため丸腰だ。青年の身体が一瞬緊張で強張ったのがわかった。二人の体格は似たり寄ったりだが、男が獲物を抜いたら分が悪い。

 すると、男は何かを思いついたのか、不意に顔を上げた。

「そうだ。こいつを見せりゃぁ誤解だってわかるはずだ」そう言って男はにわかに表情を緩めた。

「オレの腰袋の中に書簡筒が入ってるんだが、取り出しても良いか? それを見てもらえりゃ、オレの言ってることが本当のことだってわかるはずだ」

 男は人差し指を下に向けて腰袋を指差して見せた。

 青年は警戒を緩めることなく、小さくうなずいてそれを許した。

 男は青年を刺激しないように、ゆっくりとした動きで袋の中に手を差し込んだ。そして、腰袋の中から書簡筒を掴み出すと、よく見えるように青年の前に突き出した。男の手に握られた筒は真鍮製のようで、日の光にさらされて黄金色に煌いていた。筒を良く見れば、その頭の部分には双頭の鷹の紋章が彫りこまれている。それはこの土地に住んでいるものであれば誰もが知っているであろうベネット伯爵家の紋章であった。

「これは……」

 まさか、この怪しげな異国の男の荷物から伯爵家の紋章が出てくるとは思っていなかったのだろう。青年の声には明らかに驚きの色が混じっていた。

 青年の反応を見てその効果に満足した男は、追い討ちとばかりに書簡についての説明を始めた。

「こいつは二ヶ月くらい前、ローレンスの旦那からオレ宛に送られてきた書簡だ。旦那はここの領主なんだろ? さすがに知らねぇってことはねぇよな?」

 その問いに青年はうなずいて答えた。

「こいつには、手付かずの遺跡を多数探索することになったから、その手伝いをしてくれって書かれていてな。だからオレはカーティスを離れて遥々この国まで来たんだ。そんで、慣れねぇ異国でようやく知り合いを見つけたもんだから声を掛けただけのつもりだったんだが、まさかこんな扱いを受けるとはなぁ……」

 男は未だに自分の腕を掴み続けている青年の手を見て、いい加減放してくれといわんばかりに苦笑いを浮かべた。

「まだ疑ってるなら中身を確認してみろよ」そう言って男は書簡筒を青年の胸元に押し付けた。

 青年は男の腕を放すと少し慌てた様子でぎこちなく書簡筒を受け取り、中から丸められた羊皮紙を取り出して、男と書簡を交互に見ながらその内容に目を走らせていった。そして、徐々に書簡に目を向ける間隔が長くなり、やがてその目が書簡に釘付けとなって最後の行まで読み終えると、「確かに……本物だ」と呟いた。

「だから言っただろ? オレはチカ姐さんやローレンスの旦那の知り合いなんだよ。カーティス王国で一緒に遺跡探索してた仕事仲間ってやつだ」

 青年は書簡を広げたまま、困惑した様子で主の顔を見た。

 視線を向けられた主は小さく咳払いをすると、「わたしはハイローという名前を記憶していないとは言ったが、この男のことを疑ったつもりはなかったのだがな」と、まるで自分は最初からわかっていたとばかりに、肩をすくめてみせた。それで済まされてしまっては、主の身を守ろうとした青年が可愛そうではあったが、確かに主は男に対する疑いの言葉を発してはいない。

 主は「そうだろう?」と青年に念を押したあとで、あらためて異国の男に顔を向けた。

「確かにわたしはローレンスと共に各国を旅していたことがある。カーティス王国に滞在していたのは十年前のことだな。二年間程いたが、その間、現地の黒魔法研究において第一人者だったウォーロックから依頼を受けて、いくつもの遺跡に潜ったものだ」

 主は片目を瞑って、一方の目だけで男を見つめた。

「依頼主の名前はウォーロックじゃなくて、ウォーベックな」

 間髪いれずに男が主の言葉を訂正して見せると、主は満足したようにうなずいた。

「――で、そんときローレンスの旦那にスカウトされて一緒に遺跡に潜ってたのがオレってわけだ。なんでそこまで覚えていて、オレのこと忘れてんのかなぁ……」そう言って、男はまた頭を掻いた。

「無駄な情報だから忘却した」

「む、無駄ぁ!?」

 切って捨てるような主の言葉に、男はありえないとばかりにあんぐりと口を開けた。何か言いたそうではあったが言葉にならないようで、同じく呆ける青年と顔をあわせてから肩を落とした。

「何せ十年も前のことだからな。もう必要ないと判断したのだ。実際、お前のことを必要としたのはわたしではなくローレンスだ」

 強い口調で己に非がないことを主張しようとしたのだろうが、目の前の男からだけでなく、青年からも冷ややかな目線を向けられていることに気づいて、主は気まずそうに視線をそむけた。

「……まあ、昔のことを忘れていたというだけのことだ。悪く思うな。えーと……」

「ハイロー!」

 男は自分の名前を主の耳元で叫んだ。もう二度と忘れないでくれと付け加えるのも忘れない。

「うむ、ハイローだな」

 今度こそ男のことを記憶したのだろう。主は深くうなずいてみせた。

「というわけで、ミスト。彼はわたしやローレンスと共に遺跡探索をしていたかつての仲間、ハイローだ。ローレンスが見込んだ男なのだから、その腕は確かだろう。実際にこうやってその力を必要として呼び寄せていたわけだしな」

 あらためてわざとらしく男を紹介する主の態度に私は笑ってしまったが、青年は几帳面にその紹介に応えてみせた。

「そうとは知らず、失礼いたしました」と、非礼を詫びてから書簡を筒の中に戻して男に返す。

「ああ、気にすんなよ。護衛としての職務を果たしただけだろ?」

「あ。いえ……」

 護衛としてではなく、街の案内役兼荷物持ちとして主に連れてこられたことを気にしてか、青年は答えを濁した。そんな青年の歯切れの悪い反応に男が怪訝そうな顔をしたところで、その後を主が引き継いだ。

「ところで、ハイロー。お前は実にいいときにやってきたな」

「いいとき?」男がその言葉の意味を把握しかねて眉を寄せる。

「ちょうど今、厄介な事件が起こっているところでな。ローレンスが事件解決に向けて少数精鋭の遺跡探索隊を募っているところなのだが、いかんせんこの国には遺跡探索に明るい者が少ない。もちろん遺跡というのは聖域内にあるやつのことでな。聞いたところではかなり危険な仕事になりそうだ。正直なところローレンスの手駒だけでは力不足だろう。おそらくお前がローレンスのところに顔を出せば、探索隊の一員として抜擢されるはずだ」

 主は男の顔色をちらりと伺ってから、からかうように言葉を続けた。

「まあ、ここでその話を聞けたことを天啓だと思って、このままこの街を去るという手もあるがな」

 ふざけた調子で言葉を発した主とは対照的に、男はまじめな顔つきになった。

「旦那が手助けを必要としてるってなら、それこそ参加しねぇわけにはいかねぇな。それに危険があるのはもとより承知の上だ。大体、それを避けるくれぇなら、こんな稼業にドップリ浸かっちゃいねぇよ」

 遺跡探索を生業としてきたという男の言葉が本当ならば、最低でも十年以上の経験があるということになる。主の言うとおり、ローレンスにとってはこれ以上ない強力な援軍だといえるだろう。

「姐さんもその探索隊に参加すんのかい?」

 その問いに主は首を横に振った。「いいや、わたしは実働部隊に加わりはしない。そうだな……差し詰め後方支援といったところだ」

「そうかぁ。そいつは残念だ。久々に姐さんの魔法の腕前を拝めるかと思ったんだがなぁ。オレもこの仕事を続けて長いが、姐さん以上の魔法の使い手は見たことねぇよ」

 男は主を持ち上げて大げさに落胆したような素振りをしてみせた。

「生憎、わたしはカーティスでの遺跡探索を最後に足を洗った。今は研究の方に専念していてな。――それより、もし探索隊に参加する気があるなら、早くローレンスのところに顔を出してやるといい。きっと志願者が集まらずにあいつも気をもんでいるだろうからな」

「ああ。本当は少し街をぶらついてから行こうと思ってたんだが、予定変更だ。一刻も早く旦那のところに顔をだしとかないとな」

 男はそう言うと、書簡筒を再び腰袋の中に戻して、西方に構える城へと顔を向けた。

「姐さんも一緒にどうだい? 姐さんたちがカーティスを離れてから、向こうでも色んなことがあってな。話したいことが山ほどあるんだ」

「いや、わたしはまだ買い物が残ってるからな。それが終われば城に戻るが、そのあともやることがある。まあ、お前が仕事に取り掛かる前にはまた会うことになるだろうから、話はそのときにでも聞かせてもらうとしよう」

 男は少し残念そうにしてみせると、「了解。そんじゃ、またあとで」と言って、片手を上げてその場を去っていった。宣言どおり、その足は城の方へと一直線に向かい、程なくしてその姿は見えなくなった。

「さて、わたしたちも用事を済ませてしまうとするか」

 主は男の姿が雑踏の中に消えていくのを見送ったあとで、店主の居なくなった露店に置かれた品物に目を落とすと、青年にそれを早くまとめるよう促した。相変わらず手を貸すつもりは微塵もないらしい。

 青年はいわれるままに露店の荷物を背負い袋の中へと詰め込んでいった。その作業の途中で青年はいったん手をとめて主の方を見ると、呟くように問いかけた。

「あの人……探索隊に選ばれますかね?」

「ん? 気になるのか?」

「あ……いえ」

 青年は主から目をそらすと、手を再び動かして荷物をまとめていく。そして、一通り荷物をまとめ終え、背負い袋の入り口の紐を結び終えたところで、「……そうですね。気になります」と呟いた。

 主は少しも迷うことなく、「まず間違いなく選ばれると思うぞ」と断言した。

 青年はしゃがんだ姿勢のまま、その理由を求めるように主の顔を見上げた。

「剣の腕前に秀でた者はこの国にも多くいる。だが、遺跡を探索するのに必要な能力は剣の腕前ばかりではない。むしろほかの部分の方が重要である場合が多いだろう」

 主の説明に青年は相槌を打った。

「実際にハイローの腕前がどれほどであるかは忘れてしまったのだが、まず間違いなく、あの男はそういったほかの部分の力に秀でているはずだ。でなければローレンスとわたしが仕事仲間として受け入れるはずがない。何より十年にもわたる遺跡探索の経験がそれを裏付けている」

 ローレンスはどうだか知らないが、確かに主がほかの人間と一緒に行動するとしたら、それ相応の理由があってのことだ。あのハイローという名の異国の男が主も一目置く程の実力を有しているのは間違いないだろう。

「経験……ですか」

「そうだ。これまで何度も遺跡に挑み、生存し続けてきたことがその実力の証明となる。おそらく引き際を心得ているんだろうな。それに……」

 そこで主はいったん言葉を留めた。

 青年が息をのんでからその先を促した。

「それに――何ですか?」

 主は青年の顔をまっすぐに見つめると、抑揚のない声で静かに言い放った。

「よそ者の方がやりやすいこともあるだろう」

 その言葉の意図するところが青年にも伝わったのか、青年が主にそれ以上問いかけることはなかった。

小瓶



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